染色体もまた、配られてまもないトランプの手のように、まもなく混ぜられて忘れ去られる。しかし、カード自体は混ぜられても生き残る。このカードが遺伝子だ。

人間は、どういうわけだか、自分を一番大切にしてくれる人を、わざわざ一番傷付ける仕組みになっている。

何かを理解するということは、線を引いて分類するプロセスなので、分類を通じた認識・理解を超越する、つまり仏教でいう「悟り」の境地に達しない限り、線引きそのものは知る努力と同義です。問題は線の引き方です。

物事をわかりやすくするために、学者はたいてい、生物学的な性別(セックス)と社会的・文化的な性別(ジェンダー)を区別する。

進化上の成功と個々の苦しみとのこの乖離は、私たちが農業革命から引き出しうる教訓のうちで最も重要かもしれない。

10万年前の地球には、少なくとも六つの異なるヒトの種が暮らしていた。複数の種が存在した過去ではなく、私たちしかいない現在が特異なのであり、ことによると、私たちが犯した罪の証なのかもしれない。

何よりも、博識になるということは自分の知識に満足していないということであり、そういう不満があると、プラトン性だの五分間マネジャーがする単純化だの、専門バカの学者の俗物根性だのに陥りにくい。

ところでなぜこのごろトリックスターが注目されるかというと、管理社会というものに対するアンチテーゼですね。ちょっと変わったのがいないと、やっぱり面白くないわけでしょう、組織というのは。

ユング研究所で、「相手をどこか好きにならなかったらみるな」とよく言われました。それが一番名言かもしれません。どんな人でも、どこか好きになったらいいけど、どこも好きでない限りはみてはならない。

人間は「アイディア」人間と「仕事」人間に分けられると考えたのだ。アイディア人間は取引や作品の形で頭の産物を売る人、仕事人間は労力を売る人だ。

あります。ユングのみていた患者さんで、最後にピストルを出す人がいますね。うまいこといかなかったら撃つつもりやったと。

イングランドでは、囲い込みによって生まれた大勢の「貧民」や「放浪者」を表わす「貧困」(poverty)という言葉が普及した。この時代以前には、書物に登場することはあっても、日常ではめったに使われなかった言葉だ。

もしかすると日本社会というのは、きちんとまじめに「作業」に従事してくれる大多数の「従業員」たちによって、かろうじて支えられてきた社会だったのではないでしょうか。

市場と取引は資本主義が始まる数千年前から存在し、それらに罪はない。資本主義が歴史上の他の経済システムの大半と異なるのは、それが絶え間ない拡大、すなわち「成長」の要求を中心として組織されているからだ。

人類はそのような惑星で暮らしたことがない。2003年にヨーロッパを襲った恐ろしい熱波は普通の夏になるだろう。スペイン、イタリア、ギリシャは地中海気候ではなくなり、サハラ砂漠のようになる。中東は恒常的な干ばつに陥るはずだ。

失敗した戦法、戦術、戦略を分析し、その改善策を探求し、それを組織の他の部分へも伝播していくということは驚くほど実行されなかった。これは物事を科学的、客観的に見るという基本的姿勢が決定的に欠けていたことを意味する。

各自が錯誤の余地を少なくするためには、日常的な思考・行動の延長の範囲で活動できることが必要である。

陸海軍の間では、「相互の中枢における長年の対立関係が根底にあって、おのおの面子を重んじ、弱音を吐くことを抑制し、一方が撤退の意思表示をするまでは、他方は絶対にその態度を見せまいとする傾向が顕著であった」。

また生き残った部隊長のある者は、独断で陣地を放棄して後退したとしてきびしく非難され、自決を強要された。日本軍は生き残ることを怯懦とみなし、高価な体験をその後に生かす道を自ら閉ざしてしまった。

ソ連軍の弾薬集積量は日本軍と比較にならず、日本軍が一度砲撃すると、ソ連軍はその何倍もの砲弾を日本軍の上に浴びせたために、八月に入ると日本軍歩兵は砲兵に、なるべく撃たないでくれ、と頼んだといわれている。

彼の使う資材の世界は閉じている。そして「もちあわせ」、すなわちそのときそのとき限られた道具と材料の集合で何とかするというのがゲームの規則である。

無常な社会がしつらえる千差万別の障害物を乗りこえていったにしても、ひとは最後のところで年齢という自然の力、病気、死に打ち敗られる、と知って生きている。

万は、敗北に際して自らの生命を絶った勇士として歴史が記録する最古の人物である。彼にいたって初めて英雄的敗北者像が完全に形成されたとも言える。

(中略)用語の抽象度の差異は知的能力に左右されるものではなく、一民族社会の中に含まれる個別社会のそれぞれが、細部の事実に対して示す関心の差によってきまるのである。

この皇子には日本人を魅了する独特のものがある。それがすなわち没落の運命をたどる英雄像の魅力である。

従来の敵対的戦術ではなく、共感にもとづいて外交関係に平和をもたらそうとするほうが、はるかに効果的です。

パワー・オーバーは代償をともなうため、力としてはきわめて脆弱なものです。ある研究によれば、会社であれ、家庭であれ、学校であれ、この支配的な戦術を使う組織は、意欲の低下、暴力、システムに対する見えない反発といった形で間接的に代償を払っています。

わたしは、「暴力が蔓延している原因は、わたしたちの本質ではなく、わたしたちの受けた教育にある」と考えています。

私たちは、何が正しいかよりも何が間違っているかをずっと多く知っている。(中略)否定的な知識のほうが、肯定的な知識よりも、間違いに対して頑健だ。つまり、知識は足し算よりも引き算で増えていくのだ。

この「自分に理解できないからといって、不合理とはかぎらない」という文章こそ、ニーチェの生きた世紀でいちばん痛烈な言葉かもしれない。

生き残った集団は明らかに元の集団よりも強い。しかし、個人を見ればそうではない。弱い者が死んだのだ。システム全体の向上のために、誰かが犠牲を払ったわけだ。

すなわち、改革者のうちの誰の場合にも倫理的な改革綱領などといったものは決して中心問題となっていなかった。(中略)彼らの生涯と事業の中心は魂の救済であり、それ以外にはなかった。

生活の「合理化」は、きわめてさまざまな究極的観点のもとに、きわめてさまざまな方向に向かっておこなわれうるものなのだ。

私は人間でよかったと思えるようになりたい。そして、みんなが自分の運命を愛している環境で暮らしたい。

私たちがこうして現世にいきているのは、「耐久性」とかいう軟弱な概念のおかげではない。もっといえば、議員さんたちのおかげでもない。一部の人たちが貪欲にリスクを冒し、失敗を繰り返してきたおかげなのだ。

わたしたちがいま直面しているのは、国民の望みが政府に取り上げられないというより、むしろ、国民が本当になにを望んでいるのか、もはやだれにも(もしかしたら国民自身にも)わからないという深刻な事態である。

しかし、数千万、数億、数十億というデータの量は、もはや個々人の思いを超えた無意識の欲望のパターンの抽出を可能にする。

一般意志は政府の意思ではない。個人の意思の総和でもない。そして単なる理念でもない。一般意志は数学的存在である。もしもルソーのテクストをそのように解釈してよいのならば、わたしたちはここから、民主主義のありかたを原理的に考えなおすことができる。

集合知の手法の擁護者によれば、特定の要件さえ満たすならば、専門的な判断が要求される問題に関しても、少数の専門家よりも多数のアマチュアのほうが原理的に正しい判断を下すことができるらしい。

すなわち、それらの人々の教育によって得られた精神的特性、とくにこの場合は故郷や両親の宗教的雰囲気によって制約された教育の方向が、職業の選択とその後における職業上の運命を決定している。

筆者は、民主主義の理念は、情報社会の現実のうえで新しいものへとアップデートできるし、またそうするべきだと主張する。ただそれだけの本である。

自由というものは、法律上の発明でも哲学の宝でもなく、文明に慈しまれた、他の何ものにも増して尊ぶべき、文明に固有の財産なのである。

黄金で満腹したあと、世界は今度は砂糖に飢えた。しかし、砂糖は奴隷を消耗した。

夜が昼にとって代わる、決まりきっていながら予見できない、その過程の全体ほど神秘的なものはあるまい。

西洋のこの偉大な文明は、我々が享受している数々の素晴しいものを創りだしはしたが、しかしその陰の部分を生むことなしにはそれに成功しなかった。

「人の本性」について考察し続けてきた過去の哲学者たちの考察が、「より良い人生」を生きるためのヒントとならないはずがありません。

いわば「修羅場を切り開くのに非常に有効だった」ものを厳選して紹介しています。

(仮)

拡張性は計算エンジンから得られますが、直感と洞察は人間だけが提供できるものです。

変わりつづけることは退屈しない反面、消耗するものだ。

捜索に使う地図は米軍のグリッドで、土を掘るのに使うのは日本軍のスコップ。この21世紀において、戦時中の物品を使って遺骨収集が進められることは、僕が現地で驚いたことの一つだった。

どうやら日本という国は、何か抗えない力のため、社会がいったん御破算となってからの再建には長けているようです。しかし、途中で気づいて変えるということはあまりない。

そこでもう1つ、今後の教育で重要になってくるのは、「クリエイティブ・コンフィデンス(自分の創造性に対する自信)」です。

web3によって僕たちは、プラットフォームの囲い込みから解放される、そういってもいいでしょう。

いろんな空があるように、人間にもいろんな人間がいるのだ、と思うとなんでもかんでも許せるような気分になれた。